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色彩の魔術師

ようやく行ってきましたマティス展!


4月から始まったマティス展も今月20日でついに終了です

あんだけ言ってたのにまだ行ってなかったんかいwって話しなんですが

大型の個展て最初の方はもう人が多すぎて正直何も落ち着いて見れないので、僕は最終派なんですよね


さて20年振りのマティス展

マティスを結構所蔵しているパリのポンピドゥーセンターが改装工事でゴッソリ貸してくれましたので

まさに都美館挙げてのオールマティス150点の大回顧展!いやあ〜楽しかったです


今回はマティスの人生を丁寧に振り返りながらの個展なので初めての人にも良かった気がする

ピカソと並び20世紀を代表するアーティストなんですが、一般的にはどうなんですかね

でも先日のシーレとは違い、マティスを嫌いな人っていないんじゃないかと僕は思うんですよね


マティスの人生って模索の時代、フォービズム時代、切り絵時代の三段階に分かれていまして

途中で覚醒してガラッと変わるアーティストはよくいますが三回も変化するのはマティスくらいじゃないかな

そしてその人生の転機になる2回が両方とも「入院」というのもマティスの面白い所なんですよねw


1回目は21歳の時。元々病弱だったマティスが虫垂炎だったかになって長いこと入院しましてですね

暇つぶしにと画家でもあった母親に勧められて絵を描き始めたのがきっかけなんですよ

マティス曰く「天国のような物を発見した」というほど絵にハマってしまい画家になる決意をするのですが

いみじくも晩年自分自身が天国を描くなんてこの頃はまだ誰も思っていません


2回目の覚醒はその晩年に癌を患って大手術の末に奇跡の生還をするのですが、もはや寝たきり&車椅子の状態で絵を描けなくなってしまったので、筆をハサミに変えて切り絵に変更

するとここでギアがもう一段上がり、むしろここからがマティスの真骨頂というのか集大成というのか

色彩の魔術師マティスが最後に天国を描き始めるという最高にドラマチックな展開に胸熱です


っていうかマティスってずっと「自分探しの旅」をする人生だったと思うんですよ

最初はアカデミックな絵を描いてみたりですね、静物を書いてみたり、点描をやってみたり

音楽に目覚めたミュージシャンがロックかなジャズかな、いやヒップホップかなと模索するのと一緒ですな

確かに美術の世界で「色」に対する革命を起こした改革者ではあるんですが、いうてフォービズム時代も「まんまセザンヌ」とか「まんまゴーギャン」とか「まんまピカソ」とかミクスチャー的な物も多く、色や構図は独特なんですが、作品的には独自のワールドになるまで結構苦戦したイメージが残ります

民生先生っぽくとか、今風に髭男っぽくとか、やっぱYOASOBIっしょ!って色んな曲を書いた所でね...


まあ絵を描く楽しさを知っただけで、別に描きたいテーマや技法があったわけじゃないですしね

とはいえ全てに共通する「マティスっぽさ」が当初からあるのでやっぱセンスあったんでしょうな

モロー師匠や周りの出会いが良かったマティスは少しずつ自分を見つけはじめてフォービズムになるのが前半


一般的にはこの辺なのかな


アメリー夫人シリーズ


この大胆な色の置き方を見た評論家が「野獣の檻にいるようだ」と揶揄したのがきっかけで野獣派なんですが

山田五郎先生曰く「あれってマティスじゃなくて実はルソーのことを言ってたんじゃないか」とのこと

恐らく一番メジャーな作品だと思うんですが今回このアメリー夫人シリーズは来てませんw

でも今回の個展で一番最初にあり、僕がマティスの作品の中で1,2を争うくらい好きな自画像は来ていました


マティスの全てがここに詰まってる気がする


この病弱そうな感じも、モロー師匠が亡くなって行き場の無い不安がありありと出てる感じもいいし

ゴッホの影響で大胆な厚塗りの感じも色のバランスもいいし、感情が立体的で本当にかっこいい


点描の巨匠シニャックに弟子入りしたらこうなったり


イスラムの影響でオダリスクになったり


キュビズムが流行ったら長女もキューブ化したりw


だんだん見えてきて


はいマティス


そして切り絵に変わると


再びエンジンがかかる


ポップになり


イメージになり


生命になり


人間賛歌なる


見た物をうまく描写するのではなく、本質をとらえることに重きがあったマティスにしてみれば

切り絵という表現はまさに相性が良かったんでしょうね

自分探しの人生だった彼が最後にようやく出会った最高の表現手法だったんだなと思います


そして最後はマティスの最高傑作であるロザリオ礼拝堂が4K映像で再現されていました


天国のような物に出会ったマティスが、最後に喜びと祝福に包まれた天国を描くというこの大団円感

ダイジェストではあれ、彼の人生をドラマチックに表現したとてもいい大回顧展でした


そんなマティスは僕の好きな物が沢山詰まっているのでもちろん大好きなのですが

それは作品が云々で無い所も若干ありまして、どうしてもシンパシーを感じずにはいられません


というのもこの「自分探し感」というんですかね、これすごいわかるような気がするんです

マティスって「絵を描く楽しさ」を偶然知ったから絵を描き始めただけであって、別に「書きたい物」が先にあったわけじゃあないわけですよね

だから人や時代に合わせて色んな物を描いてみたりして自分をずっと探してたわけですよね

まあだからこそ従来の常識を壊せた所もあったんでしょうけどね


いうなれば暇つぶしに楽器を触り始めたら楽器の面白さを知ってしまいミュージシャンを目指すが

特にやりたいことは無いので色んなアーティスト風の曲を作ったりして自分の好きな物やジャンルを探す

というよくある流れと全く同じなので、アーティストならこの感じを共有できる気がします

プレイヤーならひたすら楽器を練習すればいいんですが、詩曲を書くタイプはどうしても自分を探しますよね


例に漏れず僕もまさにそれでして。

曲を書いたり言葉を書いたりは好きというかむしろ得意だったので音楽自体は普通に楽しいんですよ

でもぶっちゃけた話しをすると、正直僕は「訴えたい物」が特に無かったんですよねw


変な話しアーティストってやっぱり「鬱屈した何か」じゃないですけど枯渇する何かがいりますよね

これって音楽に限った話しでもなく、物を作って世に出すのならそこには自分のメッセージがありますよね

なんなら強い承認欲求でもいいし、金持ちになりたいでもいいし、世界平和でも理想の愛でもいいですよ


でものほほんと結構楽しく生きてきたやつには、特に強い思いも不安も葛藤も正直無くてですね

僕がアーティストをやめようと思った理由は、結局「別に不満も言いたいことも無い」からなんですよね

曲を書いた所でどうしても言葉が乗っかってこないんです

もちろんソレっぽく埋めることは簡単ですし、良く聞く風に書くことはもっと簡単なんですけど

そんなことをすればするほどそこには虚無しか残らないんですよねw


そんな僕が三十代のはじめ頃、偶然制作に仕事が変わった瞬間、マティスが切り絵に出会ったように

俄然音楽が楽しくなったというか「誰かの音楽を作る」ということが一番自分と相性が良かったのです


「特に言いたいことが無い」のは「拘りがない」のとは全く違い、マティスがオリジナルの技法は無いけど色と構図だけは拘りまくったのと同様に、僕も自分の音楽で無いのであれば、そのアーティストの為に言葉1つからハイハット1発まで全シナプスをつなぎ、それっぽい嘘で固めた虚無では無く、本質の美しさに全ウエイトを乗せられることが自分にとっての相性も良く、ゼロの状態からアーティストをプロデュースしていくことが自分には本当に向いてるんだなと思いました


このアーティストをどう見せたいのか、このアーティストならどう感じるだろうか、作家にこれをどう伝えようか、作詞家とは朝まで言葉を投げ合えただろうか、アレンジャーとはイメージを共有できているだろうか、ミュージシャンからベストを引き出せているだろうか、エンジニアとは質感まで同じ解釈でいれただろうか

音楽って自分の為じゃなく、誰かの為に誰かを思って作っても楽しいんだなと大人になって知りましたね


絵に出会って模索した時代、フォービズムの時代、切り絵の時代を生きてきたマティスを見るといつも

朝から晩までピアノを弾いてチンケな曲を書いてた時代、曲やアレンジ仕事でつぶしたクリエイター時代、

アーティストを作りアーティストを育てるプロデュース時代を自分に重ねることでシンパシーを感じてました


今回のマティス展でそんなことをフと思い出したんですよね

やっぱマティス最高だぜ!20日までなのでもしお暇があればぜひ♪




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